B’zの紅白歌合戦出場が巻き起こした「ダサい」論争の本質とは?2025年の幕開けに問う国民的バンドの現在地

2025年1月に話題になったニュースです。

2024年の大晦日、日本中のリビングルームが揺れました。第75回NHK紅白歌合戦。その歴史的な舞台に、結成36年にして初めて降り立った伝説のロックユニット、B’z。彼らのパフォーマンスは、多くの視聴者の度肝を抜き、間違いなく同番組のハイライトとなりました。しかし、その圧倒的なステージの興奮が冷めやらぬ中で、SNSを中心に信じがたい「論争」が巻き起こっていたことをご存知でしょうか。

それは、「B’zはダサいのか、かっこいいのか」という、あまりにも直球で、かつ残酷な議論です。

長年日本の音楽シーンのトップを走り続け、CD総売上枚数8000万枚以上という前人未到の記録を持つ彼らに対して、なぜ今、このような声が上がったのでしょうか?そして、その「ダサい」という言葉の裏側には、どのような現代的な価値観や世代間のギャップ、あるいは音楽に対する美意識の変化が潜んでいるのでしょうか?

本記事では、この騒動の経緯を詳細に振り返りつつ、X(旧Twitter)でのリアルな反響、そして過去の類似事例とも比較しながら、この現象を徹底的に深掘りしていきます。単なる芸能ニュースの枠を超えた、日本人の「かっこいい」の変遷に迫るドキュメントとしてお読みください。

第75回紅白歌合戦:その夜、何が起きたのか

まず、すべての発端となった2024年12月31日のパフォーマンスについて、その詳細と衝撃を振り返っておきましょう。

B’zの出場は、放送前から大きな話題を呼んでいました。NHKの連続テレビ小説「おむすび」の主題歌である「イルミネーション」を担当していたことから、出場の可能性は高いと見られていましたが、実際に発表された際は「まさか本当に出るとは」という驚きの声が列島を駆け巡りました。

そして当日。番組中盤、まずはVTR出演という形で、別スタジオから「イルミネーション」が披露されました。温かみのある映像と、優しく寄り添うようなメロディ。これだけでも十分な見応えがありましたが、多くの視聴者は「やはりスタジオには来ないのか」と、少しの寂しさを感じていたかもしれません。

しかし、ドラマはそこで終わりませんでした。

「イルミネーション」が終わった直後、カメラはNHKホールのステージへと切り替わります。そこに立っていたのは、紛れもなくB’zの二人でした。事前の告知なしのサプライズ生出演。会場のNHKホールからは、悲鳴にも似た歓声が上がりました。

演奏されたのは、彼らの代名詞とも言える「LOVE PHANTOM」と「ultra soul」のスペシャルメドレーです。「LOVE
PHANTOM」のイントロであるドラマチックなストリングスが鳴り響いた瞬間、お茶の間の空気は一変しました。1995年のヒット曲でありながら、その色褪せない疾走感。松本孝弘の奏でる「TAK
TONE」と呼ばれる極太のギターサウンドが会場を支配し、還暦を超えてなお衰えを知らない稲葉浩志のハイトーンボイスが炸裂します。

特筆すべきは、稲葉浩志のマイクトラブルへの対応です。パフォーマンス中、一瞬マイクの音声が途切れるアクシデントがありましたが、彼は動じることなく, むしろそのトラブルさえも演出の一部かのように振る舞い, 地声に近い声量で歌い続けました。その姿は、数々のスタジアムライブを成功させてきた「ライブバンド」としての凄みを見せつけるものでした。

そして最後は「ultra soul」。会場全体、いや、テレビの前の視聴者全員大合唱となる「ウルトラソウル!ハイ!」の掛け声で、2024年の締めくくりに相応しい爆発的なエネルギーが解き放たれました。

当日のサポートベーシストを務めた清氏も、自身のXでその興奮を伝えています。現場の熱気は、画面越しにも十分に伝わってくるほどでした。

なぜ「ダサい」と言われたのか?その背景にある深層心理

これほどまでに完璧で、圧倒的なパフォーマンスを見せたにも関わらず、放送直後からXのタイムラインには、賞賛の声に混じって「B’zってなんかダサくない?」「古臭い」「おじさん構文みたい」といった意見が散見され始めました。

国民的英雄である彼らが、なぜこのタイミングで「ダサい」と評されたのでしょうか。そこには、いくつかの複合的な要因と考えられます。

1. 「平成ハードロック」へのステレオタイプと世代間ギャップ

B’zの音楽的ルーツの一つであるハードロックや産業ロック的なサウンドは、90年代においては「王道」であると同時に、当時のサブカルチャー層からは「商業主義的」「大仰で暑苦しい」と揶揄される対象でもありました。あれから30年が経ち、音楽のトレンドはR&B、ヒップホップ、ボカロ、K-POPへと移り変わりました。

現代のヒットチャートを席巻するのは、デスクトップミュージック(DTM)で作られた緻密なトラックや、日常の些細な感情を呟くような歌詞、そしてスマートで洗練されたダンスパフォーマンスです。その対極にあるのが、B’zの「泥臭い」「汗飛び散る」「大音量のギターとシャウト」というスタイルです。今回の紅白で見せたパフォーマンスは、まさにその「90年代的なB’z」を凝縮したものであり、今の10代、20代の一部の層、あるいは当時の「アンチB’z」的な価値観を引きずっている層にとっては、その「古さ」が「時代錯誤(=ダサい)」として映った可能性があります。

2. 演出の過剰さと「ケレン味」

「LOVE
PHANTOM」の歌詞の世界観や、稲葉浩志の独特なステージアクション、衣装。これらは「ケレン味(はったりや演出)」の塊です。ロックにおいては、このケレン味こそがスターの証であり、カリスマ性を高める要素となります。しかし、リアリティや等身大を好む現代の感覚からすると、これが「演じすぎている」「ナルシスティックに見える」と受け取られることがあります。

3. 「大衆性」への反発と逆張り心理

あまりにも売れすぎている、誰もが知っている存在であるがゆえに、「今さらB’zをかっこいいと言うのは恥ずかしい」という心理も働いているのかもしれません。サブカルチャーを愛好する層にとっては、マジョリティが熱狂するものに対して冷ややかな視線を送ることが、ある種のアイデンティティとなっている側面もあります。「みんなが最高と言っているからこそ、あえて粗を探す」という、SNS特有の逆張り文化も影響しているでしょう。

X(旧Twitter)でのリアルな声:擁護と絶賛の嵐

しかし、こうした「ダサい」論に対する反論もまた、凄まじい勢いで拡散されました。いや, 正確には「ダサい」という声を圧倒的な熱量が飲み込んでいったと言った方が正しいでしょう。

多くのファン、そして今回初めてB’zのライブパフォーマンスの凄みに触れた一般の視聴者が、彼らを擁護し、その実力を称賛しました。X上では、論争に対するカウンターとして、本質を突くような投稿が相次ぎました。

あるユーザーは、この論争自体を一蹴するように、強烈な一言を放っています。

この投稿には数千の「いいね」がつき、多くの共感を集めました。「ダサい」と評すること自体が、ある種の「安っぽい批評家気取り」であると断じたのです。

また, 長年のファンからは, これまでの文脈を踏まえた深い考察も投稿されています。「B’zを聴いていることがなんとなく恥ずかしい(隠れキリシタンならぬ隠れB’zファン)」とされた時代を乗り越え, 国民的行事である紅白で圧倒的な結果を残したことへの感慨です。

さらに、あまりの反響の大きさに、今後のライブチケットの倍率を心配する「嬉しい悲鳴」も上がっています。これまでファンクラブ会員でもチケット入手が困難だったB’zのライブですが、紅白効果でさらに競争率が激化することは必至だからです。

これらの声からは、「ダサい」という表面的な批判を、パフォーマンスの質と実績が完全に凌駕してしまった様子が如実にうかがえます。ネット上の一部でどのようなレッテルを貼られようとも、本物は揺るがないということです。

過去の類似事例との比較:大物は常に批判の的となる宿命

実は、大物アーティストが紅白歌合戦に初出場する際、こうした賛否両論や、ある種の「違和感」が表明されることは珍しいことではありません。

例えば、過去にはロック界のカリスマである矢沢永吉が特別枠で出場した際も、その独特のマイクパフォーマンスや歌詞間違いなどがネット上でネタにされました。しかし、彼はそれを自身のキャラクターとして昇華し、最終的には「これぞ永ちゃん」という評価を獲得しました。

また, 近年ではRADWIMPSやBUMP OF
CHICKENといった、かつては「テレビには出ない」という姿勢を貫いていたバンドが出場した際にも,「商業主義に走った」「魂を売った」といった批判的な声が(主に古参のファンから)上がりました。椎名林檎や宇多田ヒカルの初出場時も同様に、独自の音楽性がお茶の間にどう受け入れられるかという点で、様々な議論を呼びました。

しかし、B’zのケースがこれらと少し異なるのは、それが「テレビ出演へのスタンス」に関する批判よりも、純粋に「スタイルのかっこ悪さ(と捉えられるもの)」つまり美意識の衝突に焦点が当たった点です。

これは、彼らが35年以上、自分たちのスタイル(ハードロックを基調としたJ-POP)をほとんど変えることなく貫き通してきたことの裏返しでもあります。時代に合わせて柔軟に変化するアーティストも素晴らしいですが、B’zのように「変わらないこと」で時代を超越しようとするアーティストは、どうしても特定の時代の空気を纏っているように見え、それが新しい時代との摩擦を生む原因となるのでしょう。

独自考察:2025年における「ダサかっこいい(ダサかっこよさ)」の復権

ここで少し視点を変えて、なぜこのタイミングで「ダサい」論争が起き、そして最終的には称賛一色になったのかを、2025年という時代の空気感から考察してみましょう。

現在の音楽シーン、特にZ世代を中心としたトレンドは、「脱力感」「チル(Chill)」「DIY」「Lo-Fi」といったキーワードで語られることが多いです。頑張りすぎないこと、完璧すぎないこと、等身大であることが「エモい」とされ、「かっこいい」の基準となっています。

その対極にあるのが、B’zのスタイルです。

  • 一音の狂いも許さない完璧に作り込まれたサウンド
  • プロフェッショナルに徹したエンターテインメントとしてのステージング
  • 汗だくで血管を浮き上がらせて熱唱するひたむきさ
  • 「ウルトラソウル!」という分かりやすい鼓舞と爆発

これらは、冷笑的な視点から見れば、確かに「必死すぎてスマートじゃない」「暑苦しい」と映るかもしれません。しかし、AIが生成した完璧な画像や、オートチューンで修正された音声が溢れる2025年において、生身の人間が極限まで鍛錬し, 肉体を駆使して発するエネルギーには, 理屈を超えた説得力があります。

今回の紅白でのB’zの勝利は、「ダサい」を「かっこいい」が上回ったのではありません。「一周回ってそのダサさ(泥臭さ、愚直さ)こそが、今最もかっこいいことなのだ」と、多くの日本人が潜在的に求めていた「熱狂」を呼び覚まされた結果ではないでしょうか。

かつて「ダサかっこいい」という言葉が流行しましたが、B’zはその言葉の真の意味を体現しています。それは「ダサいけどかっこいい」ではなく、「ダサいと思われることすら恐れずに自分を貫く姿がかっこいい」という境地です。その姿勢こそが、本物のロックであり、不確実な未来に不安を抱える2025年の私たちが、最も必要としているエネルギーなのかもしれません。

まとめ

B’zの紅白初出場を巡る「ダサいか論争」は、単なる好みの問題を超えて、世代間の価値観の相違や、現代における「エンターテインメントのあり方」を浮き彫りにしました。

ネット上には様々な声がありますが、確かな事実は一つ。彼らのパフォーマンスが、日本中を熱狂させ、話題を独占したということです。アンチの声ですら、彼らの存在感の大きさを示す薪の一部に過ぎませんでした。

今回、新たにB’zの魅力に気づいたという方も多いでしょう。以下の投稿のように、これを機に彼らの深い沼にハマってみるのも良いかもしれません。

2026年に向けて、彼らはまだまだ走り続けます。私たちもその背中を追いかけながら、今年も熱い一年を過ごしていきましょう。

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